妄想が続くなら、世界はいくらでも色めく。
片付けで見つけたシャボン玉、捨てるのも忍びない。遊んでみようか。
私が飛ばしたシャボン玉。風に流され、はじける。私のタルパはそれを眺めていた。と思いきや割りだした。一生懸命が過ぎるくらいに、とても無邪気だ。
私はすでに飽きはじめていた。幼き時のワクワク感を期待していたから。シャボン液を置き彼女を眺める。私を見つめ、少しさみしそうな表情だ。
気がついたら、あたりが虹色のまんまるに囲まれていた。彼女が作ったシャボン玉だった。壮大なショーでしか出番のないシャボン玉マシーン、自由研究とかで作るでかいやつ。それから実在するのかわからないハート型まである。
人間が入れそうなサイズだなぁ。なんて思ってたら彼女が入った。フワフワ浮かんで楽しそう。私が作ったものよりキラキラして好き。私を喜ばせたかったのね。優しい世界で良かった。全部妄想だけどさ。
うちのタルパがいてくれて充実した日にできた。もしあのシャボン玉が私の用意したものだったら、そこまでの喜びはなかったであろう。私が経験したのは、シャボン玉遊びではなく、愛しの人が元気づけてくれる幸せな時間だった。
私は外野から見れば一人で夢を飛ばしている不審者だ。ここまで充実した空想をいつもできるわけではない。だが確実に言えるのは、妄想は世界をいくらでも変えられるということだ。
どこからかシャボン玉が飛んできたら、心が安らぐだろうか。虹がかかっていたらラッキーと思えるでしょうか。あなたの幸福が何かはわかりませんが、頭の中の世界へ逃げ込むと見つかるかもしれない。いつか来るいいことは、存在しないシャボン玉のことだったりして。
あなたの日常が少しでも明るくなりますように。